千葉にて
- 2011.01.15 Saturday
- 01:34
先日11日は、千葉県の某市に行ってきました。
まだ正式な決定ではないので、詳しくは話せませんが、
とある町の歌や、映画への曲提供などの話を・・・と言うことでしたが、
ふたを開ければただの鍋パーティーでした(笑)。
写真は、鍋をごちそうしてくれた脚本家さんの家にいた猫です。
こいつは僕の膝の上に乗ってきて、そこで寝てました。。。
まぁこの件に関しては、
うまく話が進んで曲を創らせてもらえるように祈るばかりです。
ところで。
町の歌の方の話なんですが、色々していた会話の中で、
「石原裕次郎みたいな曲を」と言われました。
うむむ〜・・・。
まぁ軽く流せばいいだけのことなんですが、
神経質な僕は、こういうことにいちいち反応してしまいます。
「石原裕次郎みたいな曲」とは一体何か。
例えば、モーニング娘。やAKB48の曲を石原裕次郎さんが歌えば、
それは石原裕次郎みたいな曲になるのか。
(逆もしかりですが、それはまた別の話なので置いときます)
多分それは石原裕次郎みたいな曲とは言えないでしょう。
では、石原裕次郎みたいな曲とは一体何であるのか・・・。
イメージ的には演歌やムード歌謡のような方向なのでしょうか。
でも同じ曲を渡哲也さんが歌えば、
それは「渡哲也みたいな曲」になるような気もしますが・・・。
まぁ何だかんだ言って、
実はそういう話の答えは自分の中で解決していることではありますが、
最近僕が創った映画の曲でも「菊地君らしい曲だね」という感じのことを言われたので、
外から見た僕が創る曲のイメージって、どんなものなのかな〜と。
結局そういう話に繋がるんですよね。
「○○らしい」とか「○○っぽい」とかいうのは、一体どういうことなんでしょうね。
難しいものです。
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「○○っぽい曲」とは、依頼者(失礼だけど「音楽的体験はどんだけやねん?」と言いたくなる人)が思う程度の「○○っぽい曲」です。
「元ネタ」を聴いた上で菊地君が書けば、それは間違いなく「菊地謙大郎作品」以外の何モノでもないです
それを僕は「菊地節」と呼び「菊地謙大郎」っぽい、と呼びます。
作曲のできない人間(人類の大多数)は、「○○っぽく」としか言えないんです。
まるごとパクったって「いいね」と言う人なんです(あ、言っちゃった)。
長々とごめんなさい。
「菊地謙大郎が書けば『菊地謙大郎っぽい』」んですよ。超単純な結論なんだけど、これは絶対的な真実。
今後の活躍に期待大。
でも、あんまり遠くに行かずに、一緒に「天龍」に行ける仲でいられるといいなぁ。
その話、なつかしいですね!
バルトークの弦チェレ、聴いた記憶がありますわ。
一応10年以上は曲を書き続けているので、
自分で自分の持ち味はわかっているつもりですが、
そこに留まることなく、常にフロンティア精神を持ち続けて日々勉強していきますので、今後ともどうぞよろしくです!
遠くへ行くつもりはさらさらないですが、色々な意味で時間がなくなってきているのも事実。
あぁ天龍・・・新年会に行けなくて残念でした。。。